花咲まゆは、女性写真家・清岡純子によって見いだされ、ヌードモデルとして起用された。
清岡純子は、日本で“少女ヌード写真”という分野を開拓した写真家で、1991年に亡くなるまで100人以上の少女を撮影し、100冊に近い少女ヌード写真集を残したが、花咲まゆは、その清岡をして「一番印象深い少女」と、『聖少女』の八木リカと並んで名指しされるほどの少女ヌードモデルであった。
また花咲まゆは、清岡のみならず当時の青少年たちにも強いインパクトを与え、デビュー以来四半世紀を経てもファンサイトが存在するほどの傑出した存在感を今も示している。
1977年10月に発表した『聖少女』(フジアート出版)が、清岡純子の少女ヌード写真集における出発点である。
花咲まゆは、清岡が創始した“少女ヌード季刊グラフ誌”ともいうべき、『白薔薇園』(大塚カラー印刷所出版部)シリーズで、1981年7月、モデルとしてデビューした。
その時のモデル名は、沢井由実。妹の沢井春子(モデル名)との競演であり、『白薔薇園
Part2』では、13歳と記載されている。
沢井由実の写真は、『白薔薇園 Part2』のパブリシティとして、1981年8月3日号の『週刊平凡パンチ』グラビアページでも取りあげられた。
同年10月、清岡純子が著した『舞う少女 清岡純子の少女写真術』(ダイナミックセラーズ)で、『聖少女』の八木リカ、『野菊のような少女』の菊子、『犬と少女』(いずれもフジアート出版刊)の高桂子らと共に再度登場。
この本は清岡が少女ヌード写真を撮影するための心得・ノウハウを解説した“指南書”で、新書判サイズの写真+読み物という体裁のポケットブックであった
(この本はシリーズ化され、この後、大山謙一郎、会田我路、石川洋司といった当時の第一線少女ヌード写真家のものが刊行されている)。
この本で沢井由実は、『白薔薇園
Part2』で見せたロングヘアーの他に、ショートカットにした容姿を披露している。
これが後の花咲まゆであるが、この本が発行された時点では、花咲まゆというモデル名は発表されておらず、本の中でもモデル名は記されていない。
沢井由実のこのショートカットバージョンは、この本の表紙にも使われたが、一見しただけではロングヘアーの沢井由実とは別人のように見えたため、沢井由実とは別の、まったく新しい少女ヌードモデルだと思いこんだファンもいた(右図参照)。
目敏いファンは、この“二人”が同一人物――つまり沢井由実であることをこの時点で見抜いていたが、花咲まゆが人気を博すようになった後になっても沢井由実と花咲まゆは別人だと主張するファンがいたほど、その印象は変化している。
翌1982年2月、京都のフジアート出版から初の単独写真集である『潮風の少女』が出版された。
『潮風の少女』は、『聖少女』シリーズのパートVとして刊行されたが、3800円(*当時)という高価な写真集であるにもかかわらず増刷を重ねて同シリーズで一番のヒット作となった。
この『潮風の少女』で花咲まゆは人気少女ヌードモデルとなったが、実はこの時点では「花咲まゆ」ではなく「はなさき まゆ」というひらがな表記であった。
ひらがな表記の「はなさき まゆ」がいつ・どうして「花咲まゆ」になったのかはわかっていない。
一般的には、同年9月に出版され総数20万部以上の大ヒット作となった『私は「まゆ」13歳』でとされている。
しかし『潮風の少女』発売(1982年1月)と同時に行われたパブリシティで、『週刊平凡パンチ』(1982年2月15日号)に掲載されたグラビアでは、既に「花咲まゆ」という名前が使われている(右図参照)。
したがって、最初に「花咲まゆ」名が使われたメディアは『週刊平凡パンチ』なのである。
「花咲まゆ」という命名が平凡パンチ編集部によるものだった可能性もあり得るが、ともあれこの名は受け継がれ、『私は「まゆ」13歳』へとつながっていく。
『私は「まゆ」13歳』は、B5変型判の写真集で、写真だけでなくサインや詩、そして日記まで収録された芸能アイドルグラフ誌のような体裁で、価格も980円(*当時)と廉価に抑えられていた。
これはフジアート出版が、部数拡大と新しい読者獲得を目指したプランニングによるものだと考えられるが、その目論見は当たり、この種の写真集では異例のロングセラーを記録した(児童ポルノ取締法が施行された1999年直前まで継続販売されていた)。
また、その後清岡とダイナミックセラーズが企画した、廉価版少女ヌード写真集『プチトマトシリーズ』でも、シリーズタイトルとして一号(Vol.17)、それに加えて『別冊プチトマト』シリーズでも単独写真集を発表している。
花咲まゆは、清岡純子以外の写真家には撮影されていない。
写真はよってすべて清岡によるものであり、沢井由実時代を含めて都合4回撮影されている。
最初の撮影は、妹の春子と共に撮影されたもので撮影地は房総半島の千倉である。
周囲の植物から、撮影時期は3月末頃だと考えられるが、この時は、ごく短時間に撮影されたらしく撮影点数もあまりないようである。
当時の清岡は、使い慣れていたトプコン ホースマンVH-Rという中判カメラを使用していたため(35ミリカメラに比べて)機動性に劣り、これも撮影点数が少なかった要因だろうが、
何よりも日が傾きだしてから撮影が開始されていることから、この撮影は清岡の通常の撮影ワークではなくテスト撮影を兼ねた急な撮影だったと考えられる。
清岡は後のインタビューでこう述べている(出典『AliceClub増刊 MilkClub1993年版』)。
撮影した少女の中で印象深いのは誰か、という問いに対し、
「一番印象深いのは”聖少女”やね。なにしろ、初めて撮った子やからね。
あとは、“まゆ”ですやろか。
あの子は3回くらい撮ったんですが、あまり恥ずかしがらんのですわ。
で、一つ下の妹がいるんです。
この妹、今はどうか分かりませんけど(笑),その当時はあまりかわいい事なかったんですよ。
でも、その子が私にベタベタするんですわ。結局、自分も撮りたいんですね。
私はあまり撮りとうはなかったんですが仕方ないさかい一回だけ撮ったんですが。
妹は撮りたい、撮りたい言うんですよ。あれ、不思議なもんですな。
でも、妹が撮りたい言うから“まゆ”の方も乗り気になってくれましたから」
つまり、ヌードモデルになることにイマイチ乗り気ではない“まゆ”をその気にさせるため、妹をダシにして間髪を入れずに撮影に臨んだのだとも想像できる。 それが、この1回目の撮影ではないかと考えられるのだ(清岡がインタビュー中、「3回くらい」と述べているのも1回目の撮影がイレギュラーだったため意識的に外しているのではとも考えられる)。
この撮影で清岡はヌードモデルとしての“まゆ”の資質に惚れこみ、以降、間隔を空けて3度の撮影を行っている。
2回目の撮影は、1回目と同じ房総半島の和田近辺の三原海岸で行われた。
時期はこれも周囲の植物から4月から5月にかけてと推測されるが、この時は“まゆ”一人で撮影が行われ、初めての単独、そして本格的な屋外でのヌード撮影のためか、その表情にも緊張がうかがえた。
しかし、この時の“まゆ”は、この緊張のためもあったのだろうが、今一つ垢抜けない容姿であり、潜在的資質は十分に感じられるものの、当時過熱しつつあった、 いわゆる“ロリータブーム”の中においては、取り立てて目立つ存在ではなかった。
それが、2回目の撮影から約4か月後の1981年8月に行われた鳥取砂丘における撮影ではこの垢抜けなさが一変。
元来“まゆ”が備えていた美少女性が顕著に現れいで、この時をもって花咲まゆの名は少女ヌード写真史に燦然と刻まれるものとなった。
同時に“まゆ”がこの時持っていた、自然で強い訴求力を、いたずらに加工せずひたすらシンプルに写真に収めた『潮風の少女』も、少女ヌード写真史に残る名作となった。
“まゆ”のこの容貌の変化は、単に髪をショートカットにしたためだけでなく、カラダ全体が引き締まったことが大きく関わっているが、
さらにカラダにくっきりと痕を残したスクール水着のものと思われる日焼けも影響大である。
この痕によって“まゆ”の“日常”が見るものにも反映され、それまでの少女ヌードモデルにはない等身大の存在として我々を魅了することになったのだ。
また、この時の撮影は結果的に清岡にも大きな影響を与えることになり、少女の捉え方・撮影方法がこの時を境に変化している。
しかし、“まゆ”がヌードモデルを務めるのはこの鳥取における撮影が最後となり、4回目の撮影は着衣のままである。
4回目の撮影は、鳥取の撮影から半年を経た1982年の春。松戸市上矢切の江戸川堤防で行われた。
“まゆ”はこの時、髪型をボブカットにしていたが、体型は鳥取の時と比べると幾分太ったようである。
ヌードには好適な春の明るい陽射しの下、けれども“まゆ”は遂に服を脱がなかった。
これも後の清岡に対するインタビューによると、清岡に撮影されたことは「よい思い出です」としながらも、ヌードになることに対しては決して首肯しなかったそうである。
花咲まゆのその後はほとんどわかっていない。
清岡の葬儀で目撃されたのが証言として残る最後である。
花咲まゆ活動期間は、以上のように、つまり約1年間でしかない。
その1年の間に彼女は、もしかしたら彼女の(ある意味で)最も旬な時期の美しい肢体を、我々に見せて、そして残してくれたのかもしれない。
[写真集]
『白薔薇園 Part2』(大塚カラー印刷所出版部)
『清岡純子の少女写真術 舞う少女』(ダイナミックセラーズ)
『潮風の少女』(フジアート出版)
『私は「まゆ」13歳』(フジアート出版)
『Petit Lady−プチ・レディ』(ダイナミックセラーズ)
『プチトマト Vol.17』(ダイナミックセラーズ)
『別冊プチトマト2 舞う少女』(ダイナミックセラーズ)
『My Lovery−マイ・ラヴリィ』(ダイナミックセラーズ)
『フレッシュ・プチトマト Vol.3』(ダイナミックセラーズ)
『天使のひみつ 109人の少女たち』(綜合図書)
『清岡純子写真集』(1992.08 辰巳出版)
『天使のひみつ 109人の少女たち[改訂復刻版]』(1994.10 辰巳出版)
『愛蔵版 清岡純子写真集』(1998.11 綜合図書)
『清岡純子写真館1 天使のひみつ 109人の少女たち』(1999.03 綜合図書)
[ビデオ ]
『わたしは「まゆ」思い出の夏』(発売元/たんぽぽの花 30分)
『ビデオプチ・トマトVol.21 ひとりぼっちの海』(発売/KKダイナミックセラーズ 30分)
『わたしはまゆ』(発売/ペペ *上記2本とは編集が一部異なる)
(文中敬称略)●文・イラスト/argo.